トニオ・クレーゲル:W章−U


 少年期のトニオは、ハンスとインゲを愛していた。
その理由は、彼らが認識を事とする「芸術家」とは異なり、認識とは無縁の「俗人」であるからだった。
しかし、トニオの周りには他にも俗人が存在しなかったかというと、もちろんそんなことはない。
むしろ彼の周りは、俗人たちでいっぱいであった。だから、彼はいつも一人ぼっちだったのだ。
彼らの世界に入り込めず、仲間はずれにされていたのだから。

 しかし、数多くの俗人の中から選ばれて、トニオの愛の対象になっていたのは、
ハンスとインゲだけであった。トニオは俗人を皆が皆愛してはいなかったのである。
というよりも、他の同級生に関してはもはや目もくれていなかったのであった。

    これは――というのは彼が自作の詩を書き込んだ帳面を一冊持っていたことは、
   彼自身の過失から一般に知れわたってしまい、
   同級生や先生たちのあいだに大いに不評を招いた。
   領事クレーゲルの息子はそういうことで騒ぎたてるというのを愚劣に思った。
   彼のほうではそのかわり同級生や教師を軽蔑した。
   そうでなくてさえこういう連中の行儀の悪さは我慢ならなかったし、
   彼はそういう人たち個人々々の弱点を
   不思議なほどの鋭さではっきりと見抜いていたのである。(12)

 ハンスとインゲだけが例外なくらいで、基本的には俗人たちを軽蔑していたのである。
愛するとは程遠い感情である。この差はいったい何なのであろうか。
しかし、この差について作品では、深く言及されていない。
物語の最終局面で「俗人」を愛すると言った、そのトニオが愛さない圧倒的多数の俗人たちは、
正確には俗人と言い切ることが出来ないのではないか。
「俗人」というカテゴリーは、おかしくなってしまう。
ここに「俗人」の概念が定まっていないことが、
愛される者と、愛どころか軽侮の念を持たれる者という両者の正反対の関係から分かってくる。

 両者の決定的な違いというものは、ハンスが容姿の美しい少年であったのに対して、
同じく同級生のエルヴィン・イムメンタールは「曲った足、切れたような目」(17)をした、
決して美しいとは呼べない少年であったということが言えるくらいであった。

   彼がハンス・ハンゼンを愛したのは、第一にハンス・ハンゼンが美しいからであった。
   しかし第二にそれは、相手があらゆる点で自分とは逆の、
   正反対の人間と思われたからであった。(14)

 どうやらトニオが、ハンスを愛していた理由はもう一つあったようだ。
それは、ハンスが自分とは正反対の人間であるということのようである。
ところが、ここで言われている「正反対」とはそもそも何を意味しているのだろうか。

 「芸術家」と「俗人」という概念の上で捉えれば、イムメンタールだって、正反対の人間である。
ハンスと同じ土俵にいるのだから。トニオの愛を受ける権利は十分に持っているはずではないか。
しかし、トニオがイムメンタールを愛していない理由、
そして両者の極端な差が生ずる原因は、「正反対」からだけでは読み取れない。
この都合の良い言い回しで、ハンスとトニオの違いしか述べておらず、
ハンスとイムメンタール、そしてイムメンタールとトニオの違いには触れずに言及を避けている。