トニオ・クレーゲル:V章−U


 やがて、トニオはある海辺のホテルで長い間逗留することになり、
ここで彼はある奇跡を体験することになる。
あのハンスとインゲが、再び彼の目の前に姿を現すのである。
そうしてかつての憧れの的だった彼らに再会して、少年の日の思い出が甦り、
トニオは心の中に彼らへの愛が生きていたことを確認した。

   全く昔と同じことだった、そうして彼は昔と同じように幸福だった。
   彼の心は生きていたからである。(93)

 心の死んでいる者こそが、芸術家である。しかし、トニオの心は生きている。
とすれば、トニオはいったい何者だろうか。

 また、このホテルで彼は幼い頃の自分の姿を生き写しにしたような一人の少女に出会う。
少女もまた自分と同じように周りの誰からも相手にされることがなく、孤独であった。
彼女はダンスをしていたのだが、トニオはどうしても少女のことが気になってしまう。
すると、踊りの途中、突然何かの拍子にその娘が床の上にひどく転んでしまったのである。
周りには、当然彼女を助けてあげる者はいない。
周りの誰からも相手にされることなく、孤独であるのだから。
しかし、トニオにはほっておけなかった。彼女を優しく助け起こしてあげた。
自分と同じ世界の一員である彼女なのだから。

 彼女を助けたこと、それは、同じ世界の仲間に彼なりに共感を示したことである。
こうして芸術家に共鳴する部分を持っている。トニオは、やはり何者であるのだろうか。

 これら旅の全ての経験をふまえて、またこれまでの人生の経緯を想い起こして、
旅の最後にトニオはリザヴェータに手紙を宛てた。

   俗人どもは愚かです。しかし私を粘液質で憧れがないときめつけるあなた方、
   美の崇拝者たちには次のようなことを考えていただきたいと思うのです。
   世の中には、平凡なもののもたらすもろもろの快楽への憧れに勝って、
   甘美で感じ甲斐のある、いかなる憧れもありえぬ、と思われるほどに、
   それほどに深刻な、それほどに根源的で宿命的な芸術家気質があるということを。
    私は、偉大で魔力的な美の小道で数々の冒険を仕遂げて、
   「人間」を軽蔑する誇りかな冷たい人たちに目をみはります。――けれども羨みはしません。
   なぜならもし何かあるものに、文士を詩人に変える力があるならば、
   それはほかならぬ人間的なもの、生命あるもの、平凡なものへの、
   この私の俗人的愛情なのですから。すべての暖かさ、すべての善意、
   すべての諧謔はみなこの愛情から流れ出てくるのです。(95-96)

 トニオの心は、死んでいながら同時に生きていると言える。彼は芸術家であり、また俗人である。

 旅の以前リザヴェータに命名された「踏み迷っている俗人」、
この言葉がトニオの正体をどれほど的確に言い表わしたものだろうか。

 トニオは、どちらの世界にも入り込めずに、対立する二つの概念の狭間で苦悩し続けている。
どちらの世界にも与さないトニオの世界がある。

 「芸術家と俗人」の対立とは、その対象がトニオの中で二分される
「トニオとトニオ」の対立であったことが言えるのである。