トニオ・クレーゲル:U章−U


 ロシア生まれの女流画家リザヴェータ・イヴァーノヴナと交わす長い会話は、
トニオの芸術家としての苦悩を浮き彫りにしている。
そこで、二人の間には、主題「芸術家と俗人」について、理屈っぽい討論が繰り広げられていく。

 トニオはまず芸術とは何かを考え、リザヴェータにこのように芸術、文学というものを訴える。

   「『天職』は願い下げです、リザヴェータ・イヴァーノヴナさん。
   一体この文学というものは天職じゃない、呪いですよ。」(43)

 トニオは少年時代から、ハンスやインゲに代表されるような、平凡で明るい健全な人生を愛してきた。
しかし、文学という芸術は、そうした人生からは少しも顧みられず、
理解されることのない孤独者の作業である。
健全な人生が太陽の光の当たる日向にあるものとしたら、文学はその日向のすぐ近くにあって、
しかし、日の当たらない暗い場所にあるものを指す。
いや、芸術が日向にあってはいけないと言う。

   「……全く事実はそのとおりなんです、リザヴェータさん、
   感情っていう代物は、暖かい心のこもった感情っていうやつは、
   いつだって平凡で使いものにならない。
   芸術的なのはね、われわれの破壊された、
   われわれの職人風の神経組織の焦立たしさと氷のような忘我だけなんです。
   人間的なものを演じたり、弄んだり、効果的に趣味ぶかく表現することができたり、
   また露ほどでも表現しようという気になるにはですね、われわれ自身が何か超人間的な、
   非人間的なものになっていなければならないし、人間的なものにたいして奇妙に疎遠な、
   超党派的関係に立っていなければならないんです。
   様式や形式や表現への才というものがすでに人間的なものにたいするこういう
   冷やかで小むずかしい関係、いやある人間的な貧困と荒廃を前提としています。
   どのみち健全で強い感情は没趣味なものですからね。
   芸術家は、人間になって、感じ始めると、もうおしまいです。」(41-42)

 俗人たちは人生を生きるが、芸術家はそれを自己の創作の対象として観察し、
理解し、表現しなければならない。
すなわち、人生を生きるのではなくて、人生の外に立っていなければならない。
芸術家の心が生きていて、物事を生のままに感じていては、
人々を感動させるような非凡な作品は生まれ得ないからだ。
芸術家であるためには、心が死んでいなければならないのだ。
芸術家の営みとは、心を殺して芸術に取り組むものである。
トニオの認識は、冷静に情熱にこう語る。

 また、トニオは芸術家を詐欺師まがいの信用のならない人間であるとも表現している。

   「一体この、芸術家って奴は内面的にはいつも相当ないかさま師ですからね、
   うわべだけは、仕方がない、服でもきちんと整えているべきなんですよ、
   そうして尋常な人間なみに振舞わなくてはいけないんです。」(40)

 なぜならば、芸術家は人生を生きずして、人生を語ろうというからである。

   「……いや、ちょっと待ってくださいよ、リザヴェータさん。
   実はね、私は人間的なものに参加せずに人間的なものを表現するという仕事に
   死ぬほど疲れてしまうことがあるんです。」(42)

 同時にトニオは、芸術家としての苦悩がここにあると言っている。
だから、トニオはさらに芸術家について考え、リザヴェータに一つの告白をするのだった。
芸術家は人間になってしまったらおしまいだと言っていたトニオが、
まさにその人間的なものを愛していると告白する。

   「そう、精神と芸術の永遠の対立物として立っているような『人生』は、
   血なまぐさい壮大さや荒々しい美しさの幻像として、また異常なものとして、
   われわれ変人どもの目に映っていはしません。
   ――尋常な秩序正しい愛すべきものが、われわれの憧れの国であり、
   誘惑的な平凡きわまりない人生なんです。」(51)

 ここで人生を愛すとは、彼の前言とは明らかに矛盾するものである。
それは、つまり自分は芸術家ではないと言っているのだから。
ところが、トニオはここで芸術家の定義を変えてしまうのだった。
人生に対する愛を持つ芸術家だけが、芸術家であるのだと言う。

   「ねえ、リザヴェータさん、その人の最後の一番底深い熱情が洗練された
   度はずれの悪魔的なものに向けられていて、無邪気で素朴な生きいきしたもの、
   少しばかりの友愛と献身と親愛と人間的な幸福なんかへの憧れに縁のないような人間は
   なかなかもってまだ芸術家だなんぞとは言えない。」(51)

 人間的な幸福や平凡な人生への愛が、芸術家精神からは、
およそかけ離れたものであることは言うまでもない。
この愛を生み出し、彼にこう語らせたものは、父から譲り受けた市民精神である。
だから、芸術家の定義を変えてみたところで、
彼の内部で巻き起こっている対立は消えてしまうものではない。