トニオ・クレーゲル:U章−T


 由緒あるクレーゲル家が没落して、父の死後、トニオは生まれ故郷の町を去った。
南の国へ移住し、詩人への道を歩んでいくために創作の厳しい仕事に精進していく。
そしてその結果、トニオは芸術家(文学者)として大きな成功を果たすことができた。
数々の非凡な作品を世に送り出し、名声を手に入れることになったのである。
しかし、そうした大成へと導かれていく過程に、大きな影が潜んでいて、
トニオは直ぐにそれに直面してしまうのであった。

 芸術の力は、一人の秀抜な芸術家を世に誕生させた一方で、同時に、
かえって以前よりも世間に融和することの困難になった芸術家も作り出してしまったのである。
芸術家としてのトニオは、学校時代にそうであったように、今度は普通の芸術家仲間の間にも、
融け込むことができなかったからだ。

 市民社会においても、芸術家社会においてもどこか浮いた存在、これは一体どういうことだろうか。
実は、この問題を解くためには、トニオの生まれる以前にまで遡り、振り返って見ていかなくてはならない。

 トニオの父は、堅実で真面目な勤勉そのものの商人であった。
一方、南国生まれの母は、情熱的で音楽を愛し、美貌の人であった。
このような両親の血が、北方性と南方性の遺伝という形で、
トニオの血の中には混じりあって流れているのだった。
そして、彼の場合には、父の勤勉な市民精神と
母から受け継いだ芸術家精神の対立としてあらわれている。
父から受けた精神、人生を真面目に送るために思索し、苦悩する倫理的な精神が、
彼の芸術家としての生き方に特別な色合を添えているのであった。 3)

    ご存じのように私の父は北国の人らしい気質でした。
   考え深く、徹底的で、清教主義を奉じているところから自然几帳面で、
   どちらかといえば憂鬱な性でした。
   ところで母のほうは、どこかの外国の血がまじっていて、きれいで官能的で率直で、
   けれども同時になげやりで情熱的で、一時の情に駆られて、
   だらしのないことも仕出かすといった人でした。(95)

    トニオは、ピアノとマンドリンのひどく上手な、髪の黒い情の激しい母を愛していた。
   この母が息子のあまり面白くない世評を気にかけないのを彼は大いに徳としていた。
   とはいうものの、父の怒りのほうがずっと正当で尊敬すべきもののように感ぜられて、
   たとい叱られてはしても心の底では父と全く同じ気持ちであって、
   むしろ母親の朗かな無関心を少々だらしがないと考えていたのである。(13)

 トニオの芸術家としての実生活は、肉欲や官能的な快楽を追い、それに身を捧げるものであった。
しかし、彼はそういう退廃的な生活には嫌気がさしていたのである。
それどころか心の奥底では、純潔で節度ある健康的な生活に憧れているのだった。
彼は、良心いや、彼の中に流れる父親の血の叱責を受けていた。

 己に宿った父の幻影による呵責に遭い続けながら母の面影を拠り所に、
トニオの肉体と精神は極端から極端を行きつ戻りつ、
実生活と内的生活、市民精神と芸術家精神は常に激しくぶつかり合い、
鬩ぎあいながら、肉体を蝕んでいったが、芸術精神はますます鋭くとぎ澄まされていった。

    彼は諸方の大都会や南の国で生活した。
   自己の芸術のいよいよ豊かな成熟を南国の太陽に期待していたし、
   また母親の血が彼を南の国に誘ったのかもしれぬ。
   しかしその心臓は死して、愛情を持つことがなかったので、彼はやがて肉欲の冒険に陥り、
   快楽と身を灼くような罪過の淵に沈淪して、言うべからざる苦楚をなめた。
   南の国でそれほどにも彼を苦しめたものは、彼の父親の、あの背の高い、
   細心に身じまいした、瞑想的な、いつも野花を胸のボタン穴にさしていた、
   あの父親の血であったかもしれぬ。(34)

 青年詩人トニオは、まず自身の内部で対立する二つの要素の相克に苦しんだ。
そうして、彼は自分が芸術家として、また一人の人間として生きていくためにも、
この対立を打開することが何よりも必要不可欠であることを悟る。

 ロシア生まれの女流画家リザヴェータ・イヴァーノヴナと交わす長い会話は、
トニオの芸術家としての苦悩を浮き彫りにしている。
そこで、二人の間には、主題「芸術家と俗人」について、理屈っぽい討論が繰り広げられていく。